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出演:ホアキン・フェニックス、エイミー・アダムズ、ルーニー・マーラ、オリヴィア・ワイルド、クリス・プラット、スカーレット・ヨハンソン
監督:スパイク・ジョーンズ
製作年:2013
製作国:アメリカ
『マルコヴィッチの穴』『かいじゅうたちのいるところ』のスパイク・ジョーンズ監督が贈る、人間とAIに芽生える異色のラブストーリー。
そう遠くない未来のロサンゼルスで、代筆業で生計を立てながらも、離婚調停中のセオドア。
最新式のAI型OSを購入し自宅PCに取り込むと、そこに現れたのは無機質とは程遠いユーモラスかつセクシーな“サマンサ”と名乗る女性の声。
携帯端末にも彼女をダウンロードし、次第に四六時中を共に過ごす恋人のような存在になっていく。
AIとの恋愛を描いた物語ということで、主人公の狂気が際立ってしまうかと懸念したものの、まったくそんなことはなく、自然に恋に落ちていく様が見事でした。
淡々と描いた演出の上手さもあるし、スカーレット・ヨハンソンのセクシーでいたすらっぽくピュアという、豊かな声色のおかげも大いにあるでしょう。
ローマ映画祭で、声の出演のみで受賞した初めての女優になったそうですが、存在感のあるこの演技であれば納得です。
セオドアの目の前にいる存在としては美しすぎる、でもセオドアの心の中にいる存在としてはリアルな、絶妙な質感を醸し出していました。
当初は、実態がない代わりに気持ちだけで通じ合えた2人ですが、次第に、限界を持つ人間と限界を持たないAIという、どうしようもない価値観の壁に引き裂かれていくことになります。
個人的には質感があり、目の前にいるということが、“愛しい”だとか“恋しい”という気持ちの大部分を形成していると思う(だから「会いたい」とか「抱きしめたい」と思う)一方で、実態を全く持たなくとも、ただ精神だけで通じ合える関係への羨望も少し感じました。
ただ、冷静に考えれば、どっちがどうということも、ないんだけどね。
実態がなければそれに左右されないのも確かだけど、スペックにおいて自分の理想形を作り上げることだって勝手なわけです。
逆に実態がある場合、その実態が理想形に完璧に当てはまっている可能性なんて99%ないにも関わらず、それでも、それを全て水に流してなお愛おしいと思える純粋な想いの強さは、前者を凌駕する気もするんだよなぁ。
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